9月4日には台風21号が猛威をふるい、当クリニックでは往診用車両が1台、飛来物のために故障する被害が発生しました。
幸いそれ以外には大きな被害は生じませんでしたが、今回の台風では、防災に対する意識があまりにも甘かったということを痛切に感じ、反省しました。
そしてその直後の6日、北海道で大地震が起き、とても驚いています・・。
まさかこうも立て続けに災害が起きるとは・・。
被災された皆様が1日も早く安定を取り戻されることを祈りつつ、私たちには私たちにできることを少しずつやっていこうと、気持ちを引き締めたこの1週間でした・・。
その第一歩目として、今回の台風21号に対して我々がとった行動と、実際にどういうことが起きたかについて、備忘録として残しておこうと思い、久しぶりのブログを更新します。
今回の台風に関しては、事前に過去最強クラスとの予報もあったので、4日の訪問診療の予定はなるべく3日か5日以降に変更するように、3日のうちに調整をしていました。
4日は最低限の仕事にしておこうと、私ともう1人のみ出勤して、他の職員は自宅待機としました。
この時点までで私が想定していたのは、暴風雨により外出が困難となり、往診ができない時間帯が生じる可能性と、道路の冠水などでたどり着けない家が発生するのではないか、ということくらいでした。要は、暴風雨の時間帯を乗り切れば普段通りに戻るだろうと思っていたのです。
しかし、現実にはもっととんでもない状況でした。
暴風雨のピークには、瓦、雨どい、トタン屋根、その他何かわからないものがいっぱい、ドカンドカンとクリニックのガラスに叩きつけられてきます。
そして、コンクリの建物の1階なのに風で揺れるという初めてのできごと。
ここまで身の危険を感じた台風は、生まれて初めてでした。
そんな中、電話も繋がりにくくなってきました。
生きた心地もしないような暴風雨が少しおさまり、外に出てみると、いろんな飛散物が散乱しています。
往診車のタイヤと車体の隙間にはまり込んだ金属製の雨どいや、何本も転がっている10cmほどの長さの釘など・・。
そして、窓ガラスが割れた2号車のことでも対応に追われる中、患者さんについての電話も断続的にかかってきます。
そういった対応をしていると、1人、早めの受診を要する患者さんが発生しました。
しかし、近隣の病院に連絡すると、病院が停電していたり、すでに救急患者さんでパンクしていたりという話でした。
この時点で、「今日はよほどのことがない限り、病院を頼ることはなるべく避けた方がよいだろう」と考えました。
その後の数時間の間に、吸引やモニターなどのために電気を要する子どもさんの家族から数件、自宅が停電したとの連絡が入りました。
しかし、なるべく医療機関への負担をかけないよう、自宅で過ごす工夫ができる方については自宅にとどまるよう、知人や親族の方の家へ避難できる方についてはそのようにお願いしました。
夜になるまで、クリニック内外の掃除や点検、水道、電気、トイレなどの確認などをしていました。
関係機関へ電話をするにも、なかなか繋がらない状態が続きました。ニュースなどで周囲の被害の状況を確認することまで頭が回らず、堺市や和泉市でこんなに多くの家で停電が発生しているとは、夜になるまで把握できていませんでした。
そうしているうちに、人工呼吸器を要する子どもさんの家族からも、自宅が停電したとの連絡が入りました。状態からは入院先を確保した方がいいと考えられましたが、うちが間に入るより直接電話で病院に連絡いただいた方が早そうだったため、そのようにお願いし、入院先が決まったとの連絡が後ほどありました。
クリニック周囲の道路は、倒れた街路樹や割れたガラス、飛散物などが散乱。信号も止まっていて、どこの道路が通行可能か、どこの道路が渋滞しているかも分からない事態。
そして、電話が繋がりやすくなったのは、夜20時を過ぎた頃から。
人工呼吸器のために電源の必要な方に安否確認をしようかとも考えましたが、現地に行くにも渋滞に巻き込まれて鉄砲玉になる可能性もあり、電話するにもなけなしの充電で携帯を維持している方もおられるかもしれないと考えると、一機関での対応は現実的ではないという考えに落ち着き、いただいた相談に対応するという形をとることにしました。
一夜明けて5日。
出勤に3時間かかる職員もいたり、交通の混乱は続いていました。
とりあえず、人工呼吸器を必要とする方にはこの時点で電話での安否確認を行いました。自宅が停電した方もおられましたが、皆さん何とか夜を越されていてホッとしました。
また、何とか自宅でがんばってもらった方の中にも、停電が長期化すると体調の維持が厳しいことが予想される方がいましたので、この時点で病院に入院をお願いしたケースもありました。
今日現在、まだ停電が続いている地域もあるそうで、信号機が変な方向を向いていたり、木の枝が散乱していたりはするものの、当クリニックではほぼ普段通りの状態に戻ることができています。
今回思い知ったのは、いかに我々が普段電気に依存しているかということと、災害が比較的少ない地域に住んで、停電のリスクを過小評価しすぎていたこと。また、非常時の通信の難しさ。
そして、訪問先の方から停電についての相談を受けたところで、一事業所でできることは非常に限られていること。
自分や職員の安全を確保しつつ、訪問先の方の安全を守るために行動するのには、災害の直後には限界があるのが現実で、それは我々だけではなく、大病院などでも同じだということ。
タイムリーという言い方はまずいかもしれませんが、ちょうど8日には大阪母子医療センターで災害に関する研修会があり、熊本県の緒方健一先生のお話を聞く機会をいただきました。
熊本県では大地震の経験と、毎年のように台風の影響を受けられることから、ご経験をもとにしたお話には非常に説得力がありました。
この日、特に感じたのは、台風は地震とは違って「予測できる災害」だったにも関わらず、その備えが不十分だったことについては、大いに反省しなければならないことでした。
また、災害時には、最初の1日〜数日の間はどこもかしこも混乱するために、家族での自助、周りの方たちとの共助がとても大切だというお話もあり、この点については今回の経験からその通りだと感じました。
まだまだ私たちも、防災についてはやっと目が覚めたような状態ですが、これから、自助と共助を促せるような啓発と、慌てずにすむための準備について、小さくても効果の大きそうなことから始めていけるようにしようと考えています。
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