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よしなしごと

飛行機内の急病の方への対応

(今回の記事は、先日Facebook上に投稿した内容に加筆修正をしたものです)

まず、私は医師である以上、自分の知識と技術が人のためになることに喜びを感じて仕事をしています。
そして、私に限らずどんな医師でも、「目の前の患者さんを救いたい」という気持ちというか、良心というか、そういうものを持っているはずです。

しかし、多くの医師にとって、飛行機内での
「お客さんにお医者さんはいらっしゃいませんか」
このアナウンスに対して、
「はい、私は医師です」
と名乗り出ていくこと、これにはとてつもないハードルが存在します。
「目の前の患者さんを救いたい」という気持ちがどんなに強いものであったとしても、それを上回ってしまうこともあるくらい、ものすごく大きなハードルなのです。

私はこれまでに、机上でこのハードルについて何度か議論をこね回したことがあります。
しかし、つい先日、実際にその場を経験することとなり、様々な、複雑な気持ちが交錯しています。
(今回の私のケースでは、目の前の方が体調を崩され、すぐに私が名乗り出たため、アナウンスはおそらく流れていませんでしたが)

まず、私が対応させていただいた方は、その後体調が回復されたと伺い、ホッとしています。
そして、十分な対応ができなかったことへの後悔と、貴重な経験をさせていただいたという感謝の気持ちもわいています。
とにかくまだ整理が付かないことも多いのですが、今回の経験を元に、飛行機内での救急対応がもっと良い形で行えるようなシステム作りのため、その場で感じたこと、また今日までに振り返ったことを、いろんな立場の方と考えていきたいと思い、ここで記載させていただきました。


1)「専門外」の対応を「単独で」行うことへの不安

私はこれまでに、新生児科医として病院勤務をして、在宅医療を行うために開業しました。
しかし、今回体調を崩されたのは、飛行機に歩いて搭乗した60代の方で、これまで私が主に診療してきた患者さんとは全く異なるカテゴリーの方でした。

今回同乗していたCAさんたちもびっくりされたと思います。
CAさんもこういったケースへの対応については、もちろん教育を受けておられるでしょうし、マニュアルのようなものもあると思います。
しかし、医師免許を持っている私がこれだけ長文を書くネタがあるくらい動揺してるんですから、医師ではないCAさんが的確にマニュアル通り動けなくても仕方のないことだと思います。むしろよくがんばってくださったとさえ思います。
ただ、あの環境で、何かを頼める相手が動揺されているCAさんしかいない、という状況は、医師側としてはなかなか厳しいものでした。

成人の救急対応について、私の経験は微々たるものです。
今までは、他に医師や看護師がいて、何かあれば相談できる環境でしか、成人の方の救急対応をしたことがありませんでした。
その私が、他に頼れる人のいない中で、単独で専門外のこと全てを判断し、処置を行わなければならないというプレッシャーは、これまで感じたことのないものでした。


2)「モノがない」中での診療の限界

飛行機にはどんな医療器材が積み込まれているのか、私はこれまで知りませんでした。
今回名乗り出て、取りあえず
「あるものを全部持ってきてください」
とお願いしました。

すると、箱を確か2つ、CAさんが持ってこられました。
その中には、輸液の製剤と注射用糖水、注射針と点滴セットなどが入っていたのですが、血中酸素飽和度モニター、心電図モニター、あるいは血糖測定器など、救急現場でよく見かける器械は見つかりませんでした。

(参考資料: http://wwwkt.mlit.go.jp/notice/pdf/201701/00006370.pdf

かろうじて聴診器はありました。
しかし、聴診器を耳に当ててみたものの、飛行機の轟音のために何も聞こえませんでした。

結局、私にできたことは、問診、視診、触診、打診、以上です。
これで得られる情報だけで、単独で、専門外のことの判断を求められるというのは、さすがに大変すぎますね・・。
まだ私は在宅医療をやっているので、モノのないところでの診療には比較的慣れている方かも知れません。
しかし、普段頼っている数字の出る器械が何もないというのは、非常に不安の大きいものでした。

・・ここまでの2つの話について、「大変そうだなあ」ということはほとんどの方にすぐ想像いただけると思います。
しかし、以前から私は、飛行機内で医師が対応を行う際に、次の点がものすごく大きな問題であると考えていて、実際に対応を行ってみて、その通りだと実感しました。
それは・・


3)フライト計画の判断をせまられる

上で書いたとおり私は、「専門外」の対応を「単独で」誰にも頼れないまま、「モノがない」中で行っていました。
医師が得られる情報や、できる処置の範囲は、「専門外」という時点で減少し、「単独で」という環境によって減少し、「モノがない」という状況でさらに減少します。

取りあえず一通りのことが落ち着いた時、CAさんが私にこう聞いてこられました。

「今から出発地に引き返すと約30分、目的地にそのまま向かうと約1時間かかります。このまま目的地に向かって大丈夫でしょうか。それとも引き返した方がいいでしょうか。」

もし、今回対応した方が心肺停止状態など、1分1秒を争うことが明確な状況であれば、私は迷わず
「出発地に引き返せ!」
と言ったでしょう。
おそらくその判断について、同乗しているお客さんの誰もが納得できるだろうと思います。

今回の方は幸い、そこまで重症ではありませんでした。
(少なくとも、機上で会話が可能な状態に回復されました)

とはいえ、ものすごく少ない情報しか得られていない中、この方がいつ状態悪化するのか、あるいはしないのか、など、予言できるわけがありません。
私が言えることはただ一つ、
「可能な限り早く医療機関へ搬送するように。」
これだけです。

しかし、この「可能な限り」というのも、「通常の対応」と「緊急事態」とによって、可能な範囲が変わります。
今回の場合、航空会社側は、出発地に引き返すことも「可能」と言っているのですが、これは「緊急事態」として可能という話で、もちろん「通常の対応」ではないわけです。

少し状態が回復されているご本人にとって、「緊急事態として可能」という選択肢を航空会社に選ばせることになると、大勢の乗客の行き先が、自分のために変更されてしまうことになります。
医師である私に意見を求められている状況ではありますが、もちろんその話はご本人にも聞こえているわけですから、もし仮に「苦しいから引き返して欲しい」と思っておられたとしても、その影響の大きさから言い出すのにはかなりのハードルが存在するでしょう。

そして、医師である私にとっても、それは同じです。
私の「引き返せ」の一言で、大勢の方の計画が大幅に狂います。
「大山鳴動して鼠一匹」
そんな可能性は十分に考えられます。
医師としてだけの本音を言えば、ちゃんとした診療をできる環境に、一刻も早く行っていただきたいのは間違いありません。
しかし、それが30分後か1時間後かによって、目の前で今は落ち着いて会話できている方のいのちの危険度に差が出るかという話になると・・。
ごくごく少ない得られた情報の中で、そんな重大な判断を1人でせよ、とせまられるわけですから、これはものすごいプレッシャーです。

今回は、ご本人のご意向と、私のつたない判断を合わせて、目的地へのフライトを継続してもらうことにしました。
幸い、その間に新たな状態変化は起きることなく、着陸後に救急隊の方へ引き継ぐことができました。
しかし、例えばもし、あの質問から45分後に状態が急変されていたら、私は自分の判断を一生後悔したかも知れません・・。
また、例えばもし、あの時に「出発地へ引き返せ!」と言っていたら、その後に多くの乗客からの白い目線に耐えられたかどうか・・。
あるいは、今回のケースとは別に、もし、私の目にはどう見ても大丈夫そうなのに、ご本人が不安で「引き返したい!」と言い出された場合には、それを遮ってフライトを継続させる方がいいのか、言うがままに引き返すことを指示する方がいいのか、そもそもそんな判断まで私がしなければならなくなるのか・・。

こんな綱渡りな判断を、たまたま乗り合わせた一乗客であるはずの、たまたま職業が医師だというだけの私にゆだねられるというシステム自体、根本的に問題があると思うのです。

この経験をした後、ネット上でいろんな情報を検索しました。
すると、航空会社ごとに、救急対応のマニュアルや、救急箱の中身など、かなり異なっていることも分かってきました。
また、国際線と国内線で飛行機内に準備しなければいけない物品が異なっていることも、今回初めて知りましたし、国際線で外国の飛行機内だと、薬が外国語表記だったり言葉の壁があったり、という別の問題が生じるということも、言われてみて「なるほど」と思いました。

情報の中で特に注目したのは、いくつかの航空会社で導入されている、飛行機内から救急医療機関と24時間連絡を取れる体制です。
今の通信技術があれば、飛行機内の急病の方の状況を地上の救急医療機関に伝え、遠隔診療のような形で対応することは十分可能であると思います。
飛行機内のような制限の多い場所での救急対応に慣れている医師などかなり少数ですから、スペシャリストの遠隔診療を確保できるのはとてもメリットのあることでしょう。
仮に飛行機内で救急対応を行う医師がいた場合にも、地上の救急医療機関の医師の指示を仰ぎながら対応するシステムがあれば、今回の私のようなプレッシャーはかなり軽減されると思います。
また、もし仮に医師の同乗がなかったとしても、救急医療機関の医師が、バイスタンダーである一般の方、あるいはCAさんに対して、心肺蘇生やAEDの使用などについて、指示をすることができるのではないかと思います。

ただ、このシステムを導入している航空会社が少ないというのが問題の一つ目です。
なぜ多くの航空会社に広がらないのでしょうか? コスト面の問題でしょうか?
本来なら航空会社ごとの対応ではなく、航空業界全体で進めるべきシステム構築だと思うのですが、広がらない理由が知りたいところです。

そして、このシステムを導入している航空会社でも、検索し得た限りでは全て、救急医療機関への相談はあくまでオプションとして可能であり、まずは同乗している医師に対応を依頼しているというのも、ある意味での問題ではないかと思います。
医師は確かに飛行機内で急病人への対応を行っているのですが、今回私が感じたように、その対応は純粋に急病人のためだけではなく、飛行機のフライトへの影響を与えるという点において、かなりの部分で航空会社への進言的な要素を含んでいます。
そうであれば、本来であれば航空会社の責任において、医療アドバイザー的な契約を救急医療機関と結んでおくべきではないでしょうか?
本来、フライト計画は、航空会社(機長?)が全責任を持って決定すべきで、そこへのアドバイスが必要であれば、たまたま乗り合わせた乗客の医師に責任を被せることのないよう、契約医療機関に相談する形であるべきではないか・・? と思うのです。

現在の飛行機内の急病人への対応策は、言葉を選ばずに言えば、医師の良心に頼りすぎているように感じました。
もしかすると、30年前であればそれで良かったのかもしれません。
しかし、これだけ結果責任を問われることが多い現代の日本の医療現場において、最初に述べた
「はい、私は医師です」
と名乗り出ることへのハードルは、このままだとどんどん上がる一方ではないかと感じます。
事実、私の知人や友人の中にも、飛行機内では絶対に名乗り出ないという医師は少なからずいますし、その気持ちも私には分かる気がしますので・・。

そして長文の最後に・・。

本当に肝を冷やした今回の出来事でしたが、対応させていただいた方はとても落ち着いておられ、おかげで私も何とか落ち着いて対応することができました。
こんなことを書いていても、多分、私はまた飛行機内で名乗り出てしまうような気がします。
その時には、今回のような緊張感を持たずに対応できるような形に、少しでも改善がはかられていればいいなと思います。

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